活躍するイチロー(42歳)をピックアップ①


2016年2月22日にオリックスの宮内義彦オーナーが大阪市内の会合でイチローの野望を明かした。それは「背番号に合わせて51歳まで現役」という野望だ。また本人は「監督には全く興味ない人」だという印象も受けたという。そんなイチロー選手の活躍を振り返ろう思います。

愛知を代表する名門野球部の愛工大名電高校入学する。そして1年生の段階でレギュラーを獲得。2年生の時には夏の甲子園に出場して。3年生の春の甲子園出場を果たすが初戦敗退で終わっている。3年間の高校通算成績は536打数269安打、打率.501、本塁打19本、二塁打74本、三塁打28本、盗塁131です。

1991年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。1992年7月に福岡ダイエーホークス戦で、1軍初出場を果たす。翌日のダイエー戦ではスタメン出場。同年ジュニアオールスターでMVP獲得をし、賞金全額を神戸市の養護施設に寄付をした。

1993年「振り子打法」を作り上げる。ハワイ・ウィンターリングの「ヒロ・スターズ」に派遣、所属し優勝。初のMVPに選ばれる。

1994年登録名を「鈴木一朗」から「イチロー」に変更。イチローは一軍の2番打者に抜擢。4月末には1番打者として5月から8月にかけて69試合連続出塁を記録します。そして最多安打記録を44年ぶりに更新し、130試合制でシーズン200本安打の快挙を上げた。最終的には210本の安打数を記録。首位打者を獲得をするも最高出塁率・ベストナインゴールデンクラブ賞・正力松太郎賞を獲得。打者として最年少でシーズンMVPに輝いた。

1995年開幕前に阪神淡路大震災により、本拠地神戸市が多大な被害を受け、イチロー自身もオリックス寮で被災する。オリックスは「がんばろう KOBE」をスローガンを掲げた。そして中でもイチローは復興を目指すシンボル的存在となる。そして成績も、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率。「打者五冠王」を獲得する。2年連続のMVP・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞を受賞し、リーグ優勝を達成した。

1996年にも3年連続のMVPを獲得。

2000年1999年の始めまでスランプ気味ていたイチローでしたが開幕戦から4番指名をされる毎試合スタメンで出場。7月には十度目の月間MVPを受賞する。10月にはメジャーリーグ挑戦を表明する。翌日の本拠地での神戸最終戦でイチローはファンたちに手を振り、一人一人別れの握手をした。7年連続ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得し、11月10日シアトル・マリナーズで野手としては日本人初のメジャーリーガーとなる。

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